たそがれ日誌

*

関ケ原の戦いの正式名称は青野カ原だった!?武将•布陣図•小早川が気になる!?

      2016/11/12

sekigahara2

●関ケ原の合戦の正式名称は青野カ原の合戦だった!?

徳川家康」の天下を決定づけた「関ケ原の戦い」の当時の名称が、「青野カ原の合戦」ではないのかと話題になっています。

 

京都市右京区にある「陽明文庫」という歴史資料保存施設があるのですが、そこに保存されていた公家の「近衛前久」の書状に「関ケ原の合戦」についての詳細な記述がありました。

 

そこには戦いのあった場所の名称が「関ケ原の合戦」ではなく「青野カ原の合戦」と書かれていたのだそうです。

 

公家の「近衛前久」は筆まめとして知られる人物で当時の様子を知ることが出来る貴重な資料をたくさん残しています。

 

「関ケ原の戦い」の直後の資料は大変珍しく、歴史の専門家も第一級の史料が発見されたと評価しているのだそうです。

 

歴史の定説というのは、新たな資料の発見によって変わっていくものです。

 

似たような例に「織田信長」と「浅井長政」「朝倉義景」が戦った「姉川の合戦」があります。

 

現在では「姉川の合戦」という名称が定着していますが、当時は「野村合戦」、「三田村合戦」と呼ばれていました。

 

歴史というものは基本的に勝者が作っていくものだと思うので、「関ケ原の合戦」という名称も徳川氏による名称ではないでしょうか?

 

今回は有名な戦いの「関ケ原の戦い」について調べ簡単にまとめてみました。

 

Sponser Link

 

 

●関ケ原の戦いとは?

「関ケ原の戦い」は1600年10月21日に現在の岐阜県不破郡関ケ原町で行われた戦いです。

「関ケ原の戦い」は日本全国で戦いがありましたが、一番規模が大きくて主戦場だったのが今回まとめる関ケ原での本戦の戦いです。

 

「関ケ原の戦い」は両軍合わせて20万近くという大規模な軍勢が激突した会戦です。

 

■参加した武将は?

主な武将

西軍      率いている兵力

・石田三成   7000人

・宇喜多秀家  17000人

・小早川秀秋  15000人

・毛利秀元   15000人

・小西行長   4000人

など

 

西軍の総大将は「毛利輝元」だったのですが、関ケ原での本戦のときには「大阪城」にいて戦いには参加していません。 

 

東軍      率いている兵力

・徳川家康   30000人

・浅野幸長   6500人

・福島正則   6000人

・黒田長政   5000人

・細川忠興   5000人

など

 

■布陣図は?

 

Sponser Link

 

以下の画像の通りになります。

img_0

 

勝敗の結果はご存知の通り「小早川秀秋」の裏切りで西軍が総崩れになり「徳川家康」を盟主とする東軍の勝利に終わりました。

 

今回の「近衛前久」の書状による「関ケ原の合戦」の当時の名称の発見は専門家や歴史ファンはとても興味深く感じていることでしょうね。

 

「関ケ原の戦い」をよく再現したドラマといえばNHK総合の「葵 徳川三代」です。

 

俳優の「津川 雅彦」さんが演じた「徳川家康」が魅力的で一番のお気に入りでした。

o0480064012634633848

 

現在NHK総合で放送されている「真田丸」でも今後、「関ケ原の戦い」が描かれると思うので期待しましょうね。

 

本日は最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

Sponser Link

 

 

 

 - 自然・歴史