たそがれ日誌

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工藤幹夫さんが死去!!伊集院光が感動した?成績•経歴を調査!!

      2016/09/12

元日本ハムファイターズの

ピッチャーで活躍されていた

工藤幹夫」さんが5月13日に

肝不全」のため亡くなられたことが

ニュースになり話題になっています。

 

「肝不全」とは肝臓がん

みられるような

肝細胞機能の不全状態

ことを指し亡くなるケースも

多いんだそうです。

 

今回は5月5日に「肝不全」で

亡くなられた元日本ハムの

ピッチャーの「工藤幹夫」さんに

ついて調べ簡単にまとめてみました。

 

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●工藤幹夫さんの経歴

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工藤幹夫(くどう みきお)

1960年9月30日~2016年5月13日(満55歳没)

出身地は秋田県本荘市

身長は181cm

体重は75kg

ポジションはピッチャー、内野手

右投・右打

学歴は秋田県立本荘高等学校を卒業

 

「工藤幹夫」さんは「本荘南中学校」時代から活躍し軟式野球の東北大会で優勝しています。

当時のチームメートには現在、民進党所属の衆議院議員で活躍されている「村岡敏英」さんがいます。

その後「工藤幹夫」さんは「本荘高等学校」に進学しますが残念ながら甲子園に出場することはかないませんでした。

しかし「工藤幹夫」さんは読売ジャイアンツから注目され獲得の意思を見せるほどの高い能力を持った選手でした。

結局「工藤幹夫」さんは1978年に日本ハムファイターズにドラフト2位で入団します。

 

■成績は?

 

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入団して最初の2年は低迷しましたが、フォームをアンダースローからサイドスローに改造したことが功を奏し1981年の日本シリーズでは2勝を挙げる活躍をします。

この勢いは次の年のペナントレースでも引き継がれ先発投手で20勝を挙げ防御率も2.10最多勝利最高勝率ベストナインと文句の付けどころがない活躍をされました。

しかし活躍は長く続かず右肩を故障してしまい手術をしますが、1軍に上がることが出来ず1988年にユニフォームを脱ぎ引退をされます。

「工藤幹夫」さんが現役時代に右肩を故障してしまった原因はプレーオフでの無理な起用があったということです。

元中日の「与田剛」さんも無理な起用がたたって選手生命を短くしてしまったという話を聞いたことがあります。

アメリカでは投手の肩は消耗品という考え方があり、これからの日本の野球界も一試合の投球数や登板の間隔など工夫していってもらいたいなと思いました。

 

■伊集院光が感動した?

タレントやラジオパーソナリティとして活躍されている「伊集院光」さんは、落語家時代に仕事や稽古が嫌になって辞めることも考えていた時期があったそうです。

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そんな「伊集院光」さんを立ち直らせたのは、当時日本ハムファイターズで大活躍していた「工藤幹夫」さんの存在があったそうです。

「伊集院光」さんは20勝を挙げた「工藤幹夫」さんの活躍を見て

「それを見て、『俺は何をやってんだ?』って思ったんです。20勝した工藤は、こうやってまだ頑張っている。それなのに、俺はまだ成し遂げてないのに、何も頑張ってないって思って、もう少し落語家を続けてみよう、って思ったんです」

結局「伊集院光」さんは落語の世界を離れテレビやラジオに活躍の場を移しますが、この時の経験が今でも生きていることは間違いないでしょうね。

 

今回亡くなられた元日本ハムファイターズのピッチャーの「工藤幹夫」さんのご冥福をお祈りします。

 

本日は最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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