片山義美さんが死去!!死因?レーサー?マツダワークスドライバーが気になる!?
2016/09/13
●片山義美さんが亡くなる!?
自動車メーカーの「マツダ」の「ワークスドライバー」の「片山義美」さんが亡くなったことが話題になっています。
■「ワークスドライバー」とは?
オートバイや自動車を製造販売している企業が自己の資金でレースに参戦する場合に結成するチームのことを「ワークス・チーム」といいます。
その「ワークス・チーム」に所属しレースに出場するドライバーのことを「ワークスドライバー」と呼びます。
■「ワークスドライバー」になるには?
「ワークスドライバー」になるには「JAF」(JAPAN AUTOMOBILE FEDERATION 日本自動車連盟)が発行するライセンスの取得が必須になるということです。
レーサになるには幼少時からレーシング用のカートに乗りスピード感を体に叩き込こんでいく必要があります。
ドライバー養成のスクールに入り「スーパーFJ」などの「フォーミュラカーレース」に出場して結果を出し「チャンピオンシップカップレース」で年間3位の実績を上げる必要もあります。
その後、「F4」、「F3」、「海外フォーミュラ」、「GP2」とランクを上げていって好成績を出すことが出来るようになって初めて「ワークス・チーム」に入れる可能性が出てくるとのことです。
この話を聞き幼少時から英才教育を受けて狭き門を目指すというところが他のスポーツと同じなのだなと思いました。
交通費や車両の維持だけでもかなりのお金が必要になってくるでしょうね。
夢を実現するのには本人の努力だけではなく親や周囲のサポートがとても重要なのだと思いました。
今回はお亡くなりになった「ワークスドライバー」の「片山義美」さんについて調べ簡単にまとめてみました。
●「ワークスドライバー」の「片山義美」さんとは?
1940年5月15日~2016年3月26日(75歳没)。
出身地は兵庫県です。
別名は「関西の怪童」。
「片山義美」さんは1961年の21歳ときに「スズキワークス」からオートバイのロードレースでデビューを飾ります。
「スズキワークス」に在籍しているときには「ロードレース世界GPの50ccクラス」で2位という好成績を残しています。
「片山義美」さんのキャリアのスタートは自動車のドライバーではなくてオートバイのライダーだったんですね。
1964年に自動車メーカーの「マツダ」と契約し自動車レーサーとしての第一歩を踏みます。
「片山義美」さんといえば「デイトナ24時間レース」の総合4位や「ル・マン 24時間レース」の総合10位という結果を残し世界的にも名が知られています。
引退後は「カタヤマヨシミプロモーター」を設立運営し後進の指導にもあたられました。
ワークスドライバー」の「片山義美」さんの死因については公表されていないということです。
今回亡くなられた「ワークスドライバー」の「片山義美」さんのご冥福をお祈りします。
本日は最後まで読んでいただきありがとうございました。