冨田勲さんが死去!!初音ミクとNHKで共演?代表作•経歴についても調査!!
2016/09/12
作曲家でシンセサイザーの奏者
でもある「冨田勲」さんが、
5月5日に「慢性心不全」で
亡くなられたことがニュースに
なり話題になっています。
「慢性心不全」は生活習慣病の
一種で、加齢が原因でも起こる
可能性があるとのことです。
今回は5月5日に「慢性心不全」で
亡くなられた作曲家で
シンセサイザーの奏者の
「冨田勲」さんについて調べ
簡単にまとめてみました。
●冨田勲さんの経歴
冨田勲(とみた いさお)
1932年4月22日~2016年5月5日(満84歳没)
出身地は東京都杉並区
学歴は慶応義塾大学文学部を卒業
職業は作曲家、編曲家、シンセサイザー奏者
「冨田勲」さんは幼少時、父の仕事の関係で中国の北京に住んでいました。
ある日父に連れられて「冨田勲」さんは、現在世界遺産にも登録されている「天壇公園」(てんだん 公園)に行きましたが、そこで「回音壁」の音を聞いたことが音楽と出会うことになるきっかけでした。
「回音壁」とは、円形の土塀のことで音の反射を利用して遠くの人にも音が聞こえるようになっている大きな壁のことです。
「冨田勲」さんは、「慶応義塾大学文学部」に在籍しているころから作曲家として活動しテレビ番組、映画、アニメーションなどで作曲を担当されていたそうです。
当時の日本人で「冨田勲」さんが、作曲した楽曲を聴いた経験がない人なんて、まずいなかったでしょうね。
「冨田勲」さんといえばシンセサイザー奏者としての顔もお持ちです。
1969年に開催された大阪万博の東芝IHIのパビリオンの音楽を録音するために「冨田勲」さんは大阪を訪れていましたが、偶然立ち寄った輸入レコード店で当時まだ一般的には知られていなかったシンセサイザーと出会いその音色に魅了されます。
「冨田勲」さんは直感的にシンセサイザーに魅力を感じたそうなので、まさしく運命の出会いだったんでしょうね。
その後「冨田勲」さんは、シンセサイザーを使い数多くの楽曲を作曲し日本を代表する作曲家の一人として長年にわたり活躍されました。
■代表作は?
・月の光 1974年 米ビルボード1位
・ジャングル大帝 1965年
・リボンの騎士 1967年
・たそがれ清兵衛 2002年
・隠し剣 鬼の爪 2004年
・武士の一分 2006年
「冨田勲」さんは、膨大な量の作品を残されているのでここに挙げたのは、ほんのごく一部になります。
■初音ミクとの共演とは?
「冨田勲」さんは、自身の長年の集大成となる「イーハトーヴ交響曲」という交響曲を作曲しました。
「イーハトーヴ交響曲」は作家の「宮沢賢治」の文学作品の世界をテーマに描いています。
「イーハトーヴ交響曲」は2012年に「東京オペラシティ」で初演が演奏されていますが、VOCALOIDの「初音ミク」をソリストとして起用したことが大きな話題になっていました。
どうして「初音ミク」をソリストに起用したかというと、「宮沢賢治」作品の「風の又三郎」と「初音ミク」のイメージが共通していたからだったそうです。
この動画を見るまでは、「風の又三郎」と「初音ミク」が一緒になるなんて、正直あまりイメージできなかったです。
しかし動画を見てみるとその幻想的で不思議な光景が、いつの間にか自分を魅了していました。
「冨田勲」さんは、年齢を重ねても古い価値観や常識にとらわれず、物事の本質を見極めることが出来る人なんだと思いましたね。
今回亡くなられた作曲家でシンセサイザーの奏者の「冨田勲」さんのご冥福をお祈りします。
本日は最後まで読んでいただきありがとうございました。