モハメドアリさんの死因や病気は?アントニオ猪木vsとは?名言は?戦績を調査!!
2016/09/11
プロボクシングのヘビー級の
伝説的なチャンピオンとして知られる
「モハメドアリ」さんが6月3日に
死去されたことがニュースになり
話題になっています。
モハメドアリさんといえば
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
というボクシングスタイルが有名だった
ですよね。
1996年のアトランタオリンピック
でも震える体を引きずりながら
聖火を聖火台に点火した光景は
とても感動的だったのを覚えています。
ヘビー級でモハメドアリさんや
その後に現れた「マイクタイソン」さん
のようなインパクトを放つチャンピオンは
最近現れていないですよね。
また一人伝説の人物がこの世から
失われたと思うとなんだか寂しい
気持ちになってしまいます。
今回は6月3日に死去されたことが
ニュースになったモハメドアリさんに
ついて調べ簡単にまとめてみました。
●モハメドアリさんの経歴(戦績)
出典:asahi.com
本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア
1942年1月17日~2016年6月3日(満74歳没)
出身地はアメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビル
身長は190cm
リーチは203cm
戦績は総試合数61、勝ち56、KO勝ち37、負け5
モハメドアリさんは幼い頃にお父さんから誕生プレゼントとしてもらった大事な自転車を盗まれてしまい警察に行ったところ、ボクシングのトレーナーでもあった警察官からボクシングを進められたのがボクサーになるきっかけだったそうです。
モハメドアリさんはその警官のボクシングジムに入門し8週間のトレーニングを経てアマチュアボクサーとしてデビューしました。
現在の日本ではアマチュアボクサーとしてデビューするにはジムに入門してから6ヵ月でスパーリング、公式戦に出場するには8ヶ月の期間がかかるそうです。
モハメドアリさんは2ヶ月ほどで試合に出場していますから、いかに早い成長ぶりだったということがわかりますね。
その後、モハメドアリさんは1960年10月にプロデビューを飾り、さらに約3年後の1964年2月に当時WBAとWBCの統一世界ヘビー級王者だった「ソニーリストン」に挑戦し見事勝利をおさめチャンピオンになっています
■死因や病気は?
モハメドアリさんは引退後に「パーキンソン病」を発症し長期間の闘病生活を余儀なくされました。
パーキンソン病とは?
50歳以降に発症することが多く、いくつかの特徴的な症状がみられます。手足が震える、筋肉がこわばる、動作が遅くなる、歩きづらくなるなどで、徐々に症状が進行し、10数年後には寝たきりになる患者さんもいます。有病率は、人口10万人に対し100人程度です。
Yahoo!ヘルスケアより引用
日本でパーキンソン病を発症してしまう確率は、人口1000人当たりに約一人だそうで、原因は現在でも不明だということです。
モハメドアリさんは長いパーキンソン病の闘病生活の果てに「呼吸器系の病気」が原因でお亡くなりになったそうです。
あの世では再び現役時代のような華麗なステップを披露されていることでしょう。
■名言は?
モハメドアリさんの名言は
・「私は蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろう」(Float like a butterfly, sting like a bee. Your hands can’t hit what your eyes can’t see.)
・「もし俺を倒すなんて夢を見ているのなら、さっさと目を覚まして俺に謝った方がいい」
(If you even dream of beating me you’d better wake up and apologize.)
モハメドアリさんはビッグマウスとして知られリングの外でも対戦相手をしきりに挑発していたそうです。
これも対戦相手を興奮させて冷静さを失わせるモハメドアリさんの戦術だったのかもしれませんね。
■アントニオ猪木vsとは?
モハメドアリさんは1976年に日本のプロレスラーの「アントニオ猪木」さんと当時珍しかった異種格闘技戦を行っています。
出典:goldenpneuma.com
この試合は始まる前は「世紀の対戦」と大変注目を集めていましたが、いざ試合が始まるとその内容から「正規の凡戦」といわれてしまいました。(アントニオ猪木 VS モハメドアリの動画はこちらになります)
近年この試合は総合格闘技のファンから再評価されているそうです。
今回亡くなられた元世界チャンピオンのモハメドアリさんのご冥福をお祈りします。